52番スタートの加藤聖五が1本目+2.34秒の28位でパラレルGS以外で自身初のW杯2本目進出を果たし、全体12位のタイムでジャンプアップ、合計で20位となりました。
1983年3月、千葉信哉さんが富良野GSで1本目46番スタートで19位、2本合計で20位となっていますが、それに並ぶ日本人最高位タイです。(参考資料:薬師洋行WCデータバンク)
今世紀に入ってからは2004年10月セルデン開幕戦GSで佐々木明選手が69番スタートから1本目+2.87秒の29位、合計で24位となって以来、日本選手としては2人目、前世紀から通じても、日本人最高のW杯ポイント11を獲得しました。
日本アルペンスキーの歴史を塗り替え、W杯のGS、リーゼンスラロームの高かった壁を乗り越えてくれました。
2本目は3番スタート、ゴール時点2.00秒離してのトップタイムでゴール、「コース上部はあまりフィーリングは良くなかったので、まさか2秒もと思いました、嬉しかったです」とガッツポーズをみせてくれました。
この話を聞いている間も絶え間なく、各国のコーチたちが何十人も「おめでとう!」と握手を求めてきてくれて、なかなか話が進まないほどでした。
もちろん、聖五本人だけでなく、嬉し涙の河野恭介チーフコーチにも各国コーチたちが祝福の嵐、握手攻めでした。
シュラトミング、ゴールエリアでの記念写真は何度目でしょう、久々に撮らせてもらいました。左から金田健サービスマン、加藤聖五、河野恭介チーフコーチ、柏木久美子トレーナーです。
ご覧のように、日本チームは「必要最低限」、超ミニマムなチームスタッフ体制ですが、現場のチームワークはバッチリ。外から見ていてもそれぞれの役割が全うされ、戦う態勢がしっかりできているように感じます。
66番スタートの若月隼太はゴール前の急斜面入り口でコースアウト。
私は滑りを撮れなかったのですが、いつもバカを言い合っているフランスのクリストフが「シン、いるだろ?」って貴重な写真を譲ってくれました。良き友に感謝です。
若月隼太はホテルに帰ることなく、2本目のレース終了まで、じっとゴールエリアで自ら滑ってきたコースを見上げていました。
聖五の20位は目に焼き付けたでしょう、再び、闘志に火が灯ったことと、いや、真っ赤に燃え上がっていることと思います。
レース後、強化指定選手外で日本チームとは別行動の隼太にも、しっかりと声をかけている河野恭介チーフコーチの姿が印象的でした。
「少数精鋭」で戦い続ける日本チーム、皆様の温かい応援をさらにどうぞよろしくお願いいたします。
今季GSはバルディゼール、アルタバディア2戦、アデルボーデンと他を圧倒する滑りで怒涛の4連勝、向かうところ敵なしのマルコ・オーダーマットでしたが、1本目は大きな失敗をし、+0.98秒遅れの11位とよもやの展開。
しかし、2本目はトップタイムを叩き出し、1本目トップのマヌエル・フェラーを0.05秒かわして10人を「ごぼう抜き」の5連勝を飾りました。
土曜日、キッツビュール滑降の夜は、シプリエン・サラザン他、数人と上半身裸でバーで羽目を外して楽しんだオーダーマット、ウェンゲン以来の表彰台中央に歓喜の瞬間です。(写真上)
表彰台中央でスイス国歌を口ずさむオーダーマット。
ちなみにキッツビュールの「乱痴気騒ぎ」の夜は「酒豪」サラザンにスイス国歌を教えているところがSNSに出ているそうです。オーダーマットがアルコールに強いかは定かではありません。笑