アルペンスキー撮影記

毎冬、ヨーロッパアルプスを中心に行われるアルペンスキーワールドカップの魅力を紹介していきます

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湯浅直樹 リハビリ開始

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湯浅直樹と会ってきました。

テレビ局やその他の報道関係の取材を一切断っているなか、私と「戦友」にだけ、時間をくれました。

もちろん、断っているのには理由があります。

現状の本人の感覚では、このあとのリハビリでケガが回復し、1ヶ月後のソチのスタートバーの前に立てるようになるとは明確には言えないからです。

心境を聞かれても、リハビリに集中するだけ、今やれることをやるだけで、1ヶ月後はわからないとしか言いようがないからです。

正直、「五分五分です」。

湯浅直樹はこれからしばらくインスブルックに滞在し、リハビリに専念します。そして経過をみてランニング等のトレーニングを再開することになります。

ソチにも行きます。でもそれは、レースに出るということとイコールではありません。

すべてはこれからの1ヶ月の回復具合にかかっています。

 

私は正直、オリンピック出場よりも、彼の身体のほうが心配です。

今まで数えきれないくらいの無理をしてきた彼ですが、今回は「ほんとうに無理をしないように」というのが私の今の気持ちです。

今晩は湯浅直樹からいくつかの「プレゼント」ももらいました。

オリンピックとはまったく関係のないことですが、来季以降がワクワクするような話をしてくれました。

本当に私は幸せだと思います。45歳にもなるおっさんを、こんなにも夢中にさせ、気持ちを熱くさせる選手は他にいないと思います。

その「プレゼント」の内容は時期がきたらまた、このブログで発表いたします。

湯浅直樹ファンのみなさま、念じてください、祈ってください。

「オリンピックに出場できますように」ではなく、「ケガが早く治りますように」と。

 

再追記:共同通信

アルペンスキー男子のエースでソチ冬季五輪代表の湯浅直樹(スポーツアルペンク)が22日、骨折した右足首の手術(20日)後、初めて心境を語り「(執刀医には)とても小さな確率で五輪に出られると言われたが、自分は(間に合うと)120パーセント信じないといけない。五輪には出る」と早期回復へ強い意欲を示した。

 同日にインスブルックで患部を屈伸させるなど、トレーニング施設でのリハビリを開始。足の甲からくるぶしまでが腫れ、指の感覚が鈍い状態だが痛みはないという。約2週間リハビリを続け、骨の接合具合を再検査する。

 2006年トリノ五輪7位入賞の湯浅は、昨季のワールドカップ(W杯)男子回転で3位に入るなど、ソチではメダルを狙える実力をつけた。2月22日の男子回転を見据え「イメージはいい。W杯の最近2レースは調子が悪かったけど、こうなってしまったことで逆に一区切りできた。(出場できれば)このフラストレーションをうまく爆発させられると思う」と活躍を誓った。(共同)

 

再々追記: 湯浅直樹でブログ 「土俵際」

ameblo.jp

追記:

まだまだラストレースというわけではありませんが、明の勇姿をワールドカップの舞台で見ることができるのは、もうそう多くはありません。金曜のハーネンカムレーネンは見逃せませんよ!

 

共同通信

アルペンスキー男子の第一線で長く活躍し、ワールドカップ(W杯)回転で日本選手最高の2位に3度入った実績を持つ32歳の佐々木明(ICI石井スポーツ)が22日、ソチ冬季五輪に挑む今季限りで引退する意向を明らかにした。山岳スキーのプロに転身する。

 

「世界のトップにいるまま引退できる人はそう多くない。アスリートとして、そうした舞台にいるうちにキャリアを終えられるのはとても幸せ」と心境を明かした。今季の残りのW杯回転には出場する予定。

 北海道出身。182センチの長身と類いまれなスキーセンスに恵まれ、ダイナミックな切れ味鋭い滑りで、2000年代に日本のエースとして世界のトップと互角の戦いを演じた。03年1月に21歳でW杯2位に入り、06年にも志賀高原大会(長野)を含めて2度2位になった。アルペン日本勢の2位は佐々木と1988年の岡部哲也だけで、複数回は佐々木しかいない。

 過去3大会の五輪の回転は10年バンクーバー五輪の18位が最高成績で、世界選手権は01年と13年に19位になった。(共同)

 

アルペンスキー日本代表・佐々木明の手記

「僕に幸せな時間を与えてくれたアルペンスキーを今季で引退します。世界一の舞台で多くの仲間、サポート企業、ファン、そして家族に支えられて戦えた。幸運だった。体力も挑戦する気持ちも衰えていない。自分にとってスキーとはどういうものかと考える時間がとても多くなったことが、引退を決めた理由かも。

 物心ついたころから両親にスキーという遊びを与えてもらった。僕にとってかけがえのない遊びで、何よりスキーをすることが最高の喜びだった。

 どうなれば「スキーヤー」と胸を張って言えるのか、10年以上考えています。それは多くの人に楽しんでもらい、刺激を与え、未来ある子どもたちに一つの道を示すこと。アルペンは自分が思い描くスキーヤー像に近づけてくれた。

 アルペンを真剣にやってきたけど、スキーという遊びが自分のルーツ。この後にどんな人生が待っているのか。とても興奮する。ルーツを大事に、最高のスキーヤーへ成長したい。硬く圧雪されたコースではなく、世界中の未開地で大きな斜面を滑り降りることに次の4年は集中したい。

 五輪は4度目です。いつも優勝を目標に競技をしています。今、自分が置かれている状況は分かっている。どんな状況でも勝ちにしがみつき、全力を出し切るのが僕に与えられた義務だと思う」