極寒の平昌以来となる湯浅との再会は、30℃を超える暑さの東京でした。
2018-19シーズンより、湯浅直樹はアトミックスキー、アトミックブーツで戦うことになりました。
中学3年から34歳のシーズンまで共に戦ってきたハートスキー。
その20年間の相棒に別れを告げ、無敵の王者、総合7連覇のマルセル・ヒルシャー、総合2連覇のミカエラ・シフリンらと同じアトミックで、再びW杯のピステに立ち、「世界一」奪取に向けての戦いを始めることになりました。
約4ヶ月前の前回ブログを読み返していただければお分かりになると思いますが、このマテリアルチェンジに際し、通常どの選手も行うであろうスキーテストなどは一切行っていません。
3月はじめにシーズンを終えてからは、4月の終わりに旭川で左ひざの手術を行い、その後はリハビリに明け暮れる毎日を送っています。
マテリアルに不安はないかという質問に
「そこは全く感じていない。なにせ、世界一の選手が履くスキーですから。言い訳はできないと思っています」
と赤いスキーとブーツに信頼を寄せています。
今後は、10月にオーストリアに行ってマテリアルのチョイス、そして11月にはアメリカでアトミックが行う雪上キャンプに参加して、スキーとブーツのセッティングを行う予定です。
現場のサポートには引き続き大瀧詞久(のりひさ)さんがつきますが、長年、湯浅と苦楽を共にしてきたサービスマンの横田幸平さんはジャパーナに残ることになりました。
写真は2012年12月、イタリア、マドンナ・ディ・カンピリオの日本チームの定宿、ツーリングのチューンナップルームでのショット。
W杯自身最高の3位表彰台に立ち、ファンにもみくちゃにされながら、そして腰痛の痺れで足を引きずりながら宿に戻ったところでの記念の2ショット。
いつもクールな幸平さんは、「一番高いところに立ったら表彰式まで残りますよ」と湯浅が表彰台に立った姿を見ずに先に宿に戻り、自分の仕事を黙々とこなしていました。
湯浅直樹自身最高3位! マドンナ・ディ・カンピリオSL - アルペンスキー撮影記
一番の理解者とも言える彼と離れることになるのは、湯浅としても残念でならないでしょう。
横田幸平さんにあらためて湯浅へのメッセージをお願いしたところ、快くお寄せいただきました。
「これまで湯浅選手とは共通の「国産スキー+日本人で世界一を取る」という目標に向かい、チームジャパーナの一員として戦わせてもらいました。 ご存知の通り、チームジャパーナは湯浅選手を中心に回っていたので、今回の湯浅ロスはただ単にチームジャパーナ最大の戦力を失っただけのものではなく、我々が体制を立て直すのにはしばらく時間を要するかもしれません。
しかし、湯浅選手から学んだ諦めずに世界にチャレンジし続けるハートは我々の中にしっかりと残っています。 私自身も今後どういった形の活動になるかは正直未定ですが、これまでの経験を活かしつつ、新生チームジャパーナの一員として世界に挑戦したいと考えています。
湯浅選手には、概ね感謝しかありませんが、今後、立場上は競争相手です。しばらくは湯浅選手と戦えるレベルの選手は不在かもしれませんが、いずれは彼に追いつき追い越せる選手と共に戦いを挑みたいので、そのときは胸を貸していただければ幸いです。
これからの相棒は世界1位の男が使っているスキーなので性能に間違いはありません。思う存分に暴れて、彼の夢を叶えてもらいたいです!!」
湯浅直樹の「戦友」、横田幸平さんの今後のご活躍にも期待したいと思います。
アトミックのサービスマンは作田浩輝さんと杵渕隆さんが担当することになっています。
また、所属先企業も新たに 株式会社ヤマヲ に決まりました。
東京の立川に本社を置く製麺会社です。
今季は全日本チームメンバーから外れ、昨季のW杯ポイントもなく、SLのFISポイントも11.80の93位と急降下。
日本人選手の中でも成田秀将31位、大越龍之介70位、加藤聖五91位に次ぐ「4番目」の選手となってしまいました。
当然、今季のW杯への「個人出場権」もないため、年内はFAR EAST CUP中心の転戦、そして年末の全日本選手権での優勝を目標に置いてリハビリとトレーニングを行い、秋の雪上復帰を目指す計画です。
年明けのことは、年内の結果で大きく変わってくるでしょう。
2019年2月にはスウェーデンのオーレで世界選手権も控えていますので、もしその出場権を取れることになれば、湯浅が語る、
「(W杯の)第1シード直下の定位置に戻る」
ことが想像以上に早くかなうことになるかもしれません。
それもこれも、全ては手術した左ひざの回復次第。
そしてアトミックのスキーとブーツがより良き相棒となって湯浅を助けてくれることを祈ってやみません。
上の写真は私が撮影した中でハートスキーを履く最後のレースとなった平昌オリンピック。(この後、3月の遠軽のFECがハートを履く最後のレースでした)
湯浅にとって初めてと言ってもいい、マテリアルチェンジ。
それも20年、苦楽を共にした相棒に別れを告げたわけですが、喧嘩別れというわけではなく、「円満な」マテリアルチェンジだということは付け加えさせてください。
長年サポートしてきた選手を手放すことになるジャパーナとしても、苦渋の選択だったのではないでしょうか。
日本製のスキーを履いた日本人選手がW杯表彰台の中央に立つという大きな夢は湯浅自身の手ではかなわなくなりました。
しかし、このブログの読者の皆様もこう考えたことはなかったでしょうか?
「湯浅直樹がハート以外のスキーでW杯で戦う姿を見てみたい」
ヒルシャーやクリストッファーセンの滑りと歓喜を、数え切れないほど目の前で、指をくわえて見てきた私は、そういう気持ちが全くなかったかと言えば、正直それは嘘になります。
この4月で35歳となった湯浅直樹。
平昌オリンピックのレース後には北京オリンピック出場を目指すと語っていました。
あと4年、赤い相棒が冷めやらぬ闘志をさらに赤く染め、燃え上がらせてくれることを期待したいと思います。
足元は赤くなることに決まり、そして身を包むウエアもグローブも決まりました。
発表は皆さんご存知のスキーウエアメーカーから近日にあるでしょう。
また、ストックはキザキに決まりました。
http://www.kizaki-net.co.jp/racing.html
ゴーグルとヘルメットは湯浅本人が雪上でのテストを強く希望している関係で、まだ決まっていません。
もしこのブログをお読みいただいて、雪上テストにゴーグルをご用意いただけるメーカーの方がいらっしゃいましたら、ぜひ湯浅に連絡をお願いいたします。