10月25日の女子滑降キャンセル決定の2日後、チェルビニアの町からロープウェーで山に上がりました。
途中のゴンドラ駅横では、ゴールエリア撤去作業の真っ最中。
冒頭の写真の白いテントの向こうに小型の客席スタンドが設置され、その向こうがゴールエリア。
そこに斜面をジャンプした選手が真っ直ぐ飛び込んでくるというコース設定でしたが、ご覧のようなありさまで、キャンセルも致し方なしです。
あと300m雪があれば、、、。気温が下がらず、降雪機も稼働できずで残念です。
ネットが片付けられたコース内にはジャンプ台も造られていて、マッターホルンに向かって飛ぶ後ろ姿の絵が撮れそうなポイントがありました。
ゴール前より上のコースは全て完璧なんですけどね、、、。
久々にカメラザックなしのスキーも楽しめました。
セルデンで毎年恒例の「初滑り」をして、その後マッターホルンを眺めながらの優雅なスキーを楽しめるなんて、贅沢この上ないですね。
一人寂しいランチですが、この時期は人も少なく、暖かくのんびりと過ごせました。
すぐ日本に帰ろうかとも思いましたが、来てみて大正解でした。笑
おまけに、雪がやわらかくなる昼過ぎには下山するという優雅な生活。笑
ブレイユ=チェルビニアの町はロープウェーから見ると、谷底にこじんまりとまとまった本当に小さな町、いや村です。
高速道路のインターから山道を上がってくると、ここが本当の「突き当たり」。
チェルビニアの先に道はありません。
Wikipediaには、マッターホルンが最初に登頂されたのは大政奉還前の江戸時代末期1865年、日本人初登頂は1923年との記述があり、この村の歴史はさらに古いものと思われます。
話はそれますが、この1923年に初登頂された麻生武治さんは早稲田大で第一回の箱根駅伝から出場、ベルリン体育大学留学、1928年サンモリッツオリンピックに日本人冬季オリンピック初出場を果たすスーパーアスリートでした。(Wikipediaより)
その村から山へ上がる玄関口の古いロープウェー始発駅は、取り壊されずにそのまま残され、囲ったフェンスも倒れかけ。
初めて来た人は「あれ!つぶれちゃったの?」と面食らうでしょうね。
この建物の裏に新設のガラスの自動ドアがついた近代的な窓口があるのですが、取り壊すお金がなかったのか、反対派がいて壊せなかったのか、いずれにせよ観光地としてはちょっといただけない感じです。
さすがにスイスの観光地でこれはないですが、イタリアなのでびっくりしません。
日本でも熱海とか伊香保温泉とかゴーストタウン化した隣に近代的なホテルが建ってたりしますもんね。
さて、一週間の優雅な時間もそろそろ終わり。
次は12月に戻ってきたいところではありますが、航空運賃の高騰に辟易しており、年内のワールドカップはお休みをして、年明けから撮影の予定にしております。ご容赦を。