東京オリンピックが終わりました。
一昨年の暮れに中国武漢で発生したといわれる新型コロナウイルス感染症による一年の延期、そして国内での感染拡大による無観客開催と、異例尽くしのオリンピックが昨晩閉幕しました。
自国開催、生まれ育った都市でのオリンピックを共同通信社の一員として撮影に臨めたことは、私自身、一生の宝物になりました。
普段、キッツビュールやバルガルディナで毎年もらえるメディア向けピンバッチもさして興味なくビニールに入ったままですが、今回は記念に撮影競技だけネットで買って集めてみました。
開会式翌日の撮影初日は自転車ロード。
武蔵野の森公園内のスタートと、富士スピードウェイでのゴール担当。
スタート直後にコース内に横付けされたプレスバスに乗り込み、撮った写真を送信してパソコンを閉じて顔を上げると、コースの沿道には人、人、人、人、人、人、人、人
人、人、人、人、書ききれない、、、人。
走る選手の後ろ、自転車積んだカッコいいシャコタンカローラのさらに後方、車列の最後尾で走るプレスバスにも、沿道の途切れることない多くの人々が手を振ってくれました。
まるで自分が優勝パレードの二階建てバスに乗って紙吹雪舞うなか、両脇の群衆に手を振られて祝福されているようでした。
撮影初日から心が熱くなりました。
開催に対して非難轟々の論調もあるなか、やっぱり日本人は多くの人がオリンピックを楽しみにしてたんだなと。
その熱い応援はキャンプのメッカ、山梨県の道志村でも続き、センターラインのない狭い山道でもたくさんの人たちが沿道で手を振ってくれました。
着いた富士スピードウェイは数少ない有観客開催。コアな自転車ファンが海外選手の名前を呼んで、応援していました。
ツールド・フランスやジローデ・イタリアで活躍するスーパースターへの応援は、さながら苗場W-CUPでのパンテュローやクリストッファーセンへの声援を思い起こさせるものでした。
無理やりにでも開催して良かったな、撮影初日からそう思わせてくれました。
撮影3日、4日目、伊豆でのマウンテンバイクも有観客。
カメラが砂埃にまみれながらも、急こう配を悠々と登って、さらに先の見えない急こう配を降りていく選手にびっくり。その過酷なレースはあたかも、ウェンゲンのラウバーホーンレーネン全長4,400mでスキークロスをしたかのようでした。
ゴールエリアの選手はみな、泥で薄汚れ疲労困憊。やっぱり山の中のレースは夏も過酷ですね。
静岡県で自転車ロード個人スプリントを撮り終えると、翌日は千葉県幕張メッセでのフェンシングへ。
気温30度超えのサーキットから、長袖着てても足元から冷える幕張の会場では、今大会自身初の日本人金メダルを撮影。
日本フェンシング界の悲願成る歴史的瞬間は、うらやましくも感動的でした。おそらく日本国内より何十倍もの衝撃を、本国フランスに与えたことでしょう。
一瞬で勝負が決まる騎士の戦い、その礼儀正しさと「肉を切らせて骨を断つ」斬りあいは剣道さながらの「気」の勝負。
あまりに実力差があると、「あ、こいつには勝てるな、あ、こいつにはかなわないな」とお互い構えた瞬間にわかってしまうんだろうなと、はるか昔、高校時代の剣道の授業を思い出したりしてました。
相手の剣をよけたりせず、背筋を伸ばして胸を張り、正々堂々闘う姿に中世の騎士道の一端を垣間見た気がして、バッハさんも騎士道精神で事にあたっているのかなと考えさせられました。
静岡、千葉の次はやっと東京。それもど真ん中の有楽町国際フォーラムで重量挙げ。
200kgオーバーのバーベルを挙げる怪物たちを撮り、翌日はまた幕張に戻ってレスリング。
こちらも怪物、キューバのミハイン・ロペス ヌニェス選手の、レスリング男子で史上初となるオリンピック4連覇を撮影しました。
8月3日には埼玉でのバスケットボール男子、スペインーアメリカ戦を遠隔操作で東京ビックサイトのメディアセンターからパソコンを見ながら撮影。
フリーランスのカメラマンではなかなか経験できない、大掛かりで斬新なアングルのカメラ撮影を担当し、貴重な経験となりました。
大会終盤に差し掛かった4日は自転車以来の屋外競技。
海の森水上競技場で水上のF1ともいわれるカヌースプリントを撮影。
200mをパドルひとつで漕ぐ全身運動。
公園の池で彼女を乗せてデートした経験のある方ならわかると思いますが、ちょっと力を入れて漕いだだけでゼーゼーいってしまうボートの過酷さは、ムキムキのレスリング体型の選手たちと相まって、「見るのとやるのは大違い」競技の筆頭かなと思ってしまいました。
その日はお昼過ぎには撮影終了。
感染対策で泊まっている、自宅から電車で20分の距離の大井町のビジネスホテルに戻って昼寝できるかと思いきや、写真部デスクから仕事の電話。
その日金メダルをとったスケボーの話題雑観撮影で炎天下、渋谷の宮下公園へ行くものの、そこでは撮影NG。
仕方なくスケボー施設を求めて都内をウロウロ。
しかし、コロナ禍でクローズしているところが多く、最後はお台場ビーナスポートの屋上で終了間際のスケボー教室を撮影しました。
小学生にもなってないんじゃない?って子供たちの真剣さに「金メダル効果」の一端を見た気がしました。
5日は東京ビックサイトのMPC(メインメディアセンター)でテレビ東京「ワールドビジネスサテライト」の取材を受け、そのままテレビスタッフとメディアバスで会場へ移動。
乗ったバスは鹿児島から遠征出張だそうで、帰りは「横須賀からのフェリーで九州まで20時間以上かけて帰る」と九州男子の運転手さん。
彼曰く、全国から様々なバスが東京に集められているそうで、「今まで見たこともないのがいっぱい走ってます!」とのこと。
その証に、バス集積場の外には鉄ちゃん(撮り鉄)ならぬ、「バスちゃん」が数人、こちらにカメラを向けていました。へー、こっちも初めて見ましたよ、「バスちゃん」!
テレビ東京の取材はバスの中と、それで終わらず撮ってるところも撮られました。笑
その日は東京体育館での卓球女子団体。
王者中国に敗れ銀メダルに終わりましたが、撮られていることもあって、私にも濃密な一日となりました。
放送は今日、9日月曜の夜10時からの「WBSワールドビジネスサテライト」。
自国開催オリンピックで働く姿がテレビ番組で放送されるなんて、超ちょーラッキーです!
そして2020東京オリンピックの締めは柔道の聖地、日本武道館での空手。
「空手界の笑わない男?」喜友名選手の笑顔を捉えることができました。
彼のプロフィールを見ると身長170cmとあり、おそらく、いや、間違いなくそうだとは思いますが、実際に目の前の姿は180cm以上あるように感じられました。
その佇まいは「武神」。そのオーラに圧倒されました。
空手担当のチーフカメラマンからは「道着を着ているときは絶対に笑わないので、もし笑ったら確実におさえてください」と言われていたので、表彰台で表情が崩れた!と思った瞬間、だだだだだだだだーーーっと、シャッター押しました。笑
喜友名選手は形で金メダルでしたが、組手ではメダルなし。
そんな本家、日本空手界を救ったのは荒賀龍太郎選手。銅メダルで面目を保ちました。
組手もフェンシング同様、相手が攻撃で踏み込んでくる一瞬を待ち構え、相打ち覚悟の返し技でポイントを重ねる場面も多く見られました。
荒賀選手が進めなかった決勝では、彼に勝ったサウジアラビアのタレグ・ハメディ選手の上段蹴りがイラクのサジャド・ガンジザデ選手の顎にもろにヒット。
そのまま仰向けにばったり昏倒し、担架からストレッチャーに乗せられ医務室へ。蹴りを見事に決めたものの、ハメディは反則負けとなりました。
表彰式では代わりにコーチが出てくるかと思いきや、本人登場で一安心。でも喜友名選手のような笑顔は荒賀選手にはまったくなし。
私の東京オリンピック撮影最終日は、彼の悔しさが心に残りました。
コロナ禍、非常事態のオリンピックでしたが、救いはどこの会場に行っても親切丁寧なボランティアの皆さんの働きでした。
本当に献身的で頭が下がりました。同じ日本人として誇りに思います。
半年後には北京オリンピックですが、こちらも無観客が検討され始めていますし、3年後のパリもどうなるかは不透明です。
でも、「コロナ禍でもやってよかった」、「世界は国際大会を求めていた」ということは間違いなく言えるのではないかと考えいますし、「この夏、東京でなければ他のどこの国でもオリンピックは開催できなかった」と私は思います。
東京オリンピック雑感でした。
さて、オリンピックの次はパラリンピック、ではありません。私はすでに甲子園。
そうです、明日から第103回全国高校野球選手権大会の撮影です!(一部の仕事仲間には「鉄人」と呼ばれてます笑)
では、また!