PyoeongChang 2018 winter olympic games も昨晩無事に閉会式を終えました。
湯浅の悔し涙を撮った翌日は元アルペンレーサー、梅原玲奈のスキークロスを撮り、その翌日はスノーボードパラレル大回転、竹内智香選手を撮りました。
梅原玲奈選手は残念ながら1戦目で敗退となりましたが、彼女のことは高校2年生のときから取材、撮影していて、湯浅と同い年ということもあり、思い入れはありました。
「あの場で戦えたことはとても貴重な経験でしたし、それを思い出にせず、自分や他の選手のためにつなげていきたいと強く感じました」
とコメントくれました。
アルペンスキーを含めれば長い選手生活、ほんとうにお疲れさまでした。また次のステージでの活躍を期待します。
スノーボードのパラレル大回転は初めての撮影でしたが、撮影スタイルはいつものアルペンスキーといっしょでしたので、撮ること自体はまったく戸惑いはなかったのですが、困ったのはスタート直前までどちらのコースを滑るか正確な確認ができないこと。
斜面の変わり目の下で待っていると、スタートが全く見えません。
でも、そこは人海戦術、共同通信のメインプレスセンターでテレビを見ているデスクからのLINE電話で「青!」と連絡が入れば、青のコースで構えて撮りました。
レースは女子スーパーGで驚愕の金メダルをさらったチェコのエスタ-・レデツカが自身2つ目、史上初のスキー、スノーボードでの金メダル獲得となりました。
自慢ですが(笑)おそらく両方の滑りの写真を撮ったのは世界でも私だけではないかと思っています。
それというのも、AP、ロイター、AFP、Gettyなどのインターナショナル通信社は各会場ごとに滑りを撮る、それ専門のカメラマンを配置していて、私のように今日はアルペンスキー、明日はモーグル、ジャンプ、スノーボードという動き方をするカメラマンは実は多くないのです。
そんな動きをするのはナショナル通信社か日本の新聞社、欧米の新聞社くらいなのですが、アルペンスキー女子SGをコース内で撮っているカメラマンは、ほとんどの顔を覚えられるくらい少ないので、その顔をスノーボードのコース上で見なかったというのが「もしかしたら私だけ」の根拠なのです。
(日本人は女子SGに出場しておらず、そんな競技には日本の新聞社は来ないので、日本人カメラマンは間違いなく私だけですね笑)
レデツカさん、ありがとう!ですね。笑(自己満足)
こちらに来た5日から感じていましたが、今回のオリンピックは若い大学生のボランティアがほとんどで、おじちゃん、おばちゃんのボランティアは各会場で一人、二人ほどしか見かけませんでした。
多くの若い子の温かい親切心に包まれたオリンピックだったと思いますが、同時に、これほどセキュリティが「ゆるゆる」なオリンピックも過去になかったのではないかと思います。
セキュリティもボランティア中心で若い子ばかりなだけに、こちらが自信を持って言ったり、ごねたりすると、「しょうがない」といった感じで通してくれることがほとんどで、荷物の中身やポケットの中を調べられないことも多かったです。
もちろん、こちらはそれで助かっているのですが、2年後の東京オリンピックも同様になる懸念も同じ東洋人として持っています。
ボランティアでセキュリティの仕事に就くひとは、欧米人の「勢い」に萎縮することなく、粛々と仕事を行って欲しいと思います。
また、開会前から極寒オリンピックと脅かされ、覚悟して来ましたが、寒かったのは開幕前とその直後だけで、その後は寒さにも慣れました。笑
さすがに開幕直後の寒さと朝から夜までの撮影での寝不足で、疲れを感じていましたが、強風がやみ、アルペンスキー競技が順調に消化されるようになって、疲れもふっとび気力充実で臨める撮影が多くなりました。
常々、そう思ってはいますが、やはり私にとっては冬季競技でアルペンスキーに勝る競技はありませんでした。アルペンを撮れるだけで元気になるのは単純な証拠ですかね。笑
今回のオリンピックでも様々な競技を撮りましたが、やはり冬季スポーツの王者はアルペンスキー、その思いは更に強くなりました。
アルペンスキーの凄さが多くの世界のみなさんに伝わるようにまたこれからもがんばって写真を撮り続けたいと思います。
私は今晩は共同通信社の打ち上げに出て、明日、帰国します。
今週末にはワールドカップ再開、男子はクラニスカ・ゴラ、女子はクラン・モンタナですが、私は今季の撮影はこのオリンピックで終了とし、来月からは日本での仕事に専念します。
最終戦オーレは来季世界選手権の舞台でもありますので、湯浅が出場するのであれば、行きたいところではありましたが、今回は見送ることにしました。
また来季、セルデンの開幕戦を楽しみに待ちたいと思います。
それでは、また思い出した頃に?笑 更新します!