一昨日、日本チームの「展望」を書きました。
それならば、「反省」も書かなければならないと思います。
そのなかのひとつは正直、私としてはあまり触れたくないことです。
過去のことを蒸し返してぐちぐち言ってみたところで、「あのとき」は二度と戻ってくることはないのだとも思います。
しかし、バンクーバーオリンピック出場枠の問題は避けて逃げて、目をそむけて、ひとの興味が薄れるのを待って済むものではないともずっと考えていました。
なんとかこの問題を自分なりに整理して考えたいと思っていました。
私は普段、写真を撮ることを生業にしているので、取材で話しをするのには慣れていません。人と会って今回のような重い問題の話しを聞いたるするのには少しの勇気が必要でした。
それでも「関係者」3人の方に、今回の枠の問題について、面と向かってじっくりとお話しを聞かせていただけることができました。それぞれの方には貴重なお時間を頂戴しました。この場をかりて再度、感謝申し上げます。
お三方とも、真剣に、真摯にお応えいただいたと思います。
私がお話しを伺った限り、述べる必要のある事実は以下のようになります。
まず一つ目は、私のような現場に近いところにいたものとしては書く必要もないかとは思うのですが、現場のヘッドコーチをはじめ、チーフコーチ、チームスタッフ、サービスマン、もちろん選手、みな、3枠目の増枠のわずかな望みを持ち続けていたということ。
二つ目は、東京のSAJの内部、事務方は湯浅をオリンピックに出そうとそれなりの努力をし、実際に行動も起こしたということ。
三つ目は、SAJの上層部も湯浅を出したいという強い意向があり、枠の増加を待っていたが、「通常」の増加はなく、その後予想以上の枠返上国の出現でFISが急遽、枠を再配分したことに対応しきれなかった。JOCに申請した派遣選手決定期限に間に合わず、派遣を断念せざるをえなかったということ。
四つ目はFISの「予定外」の増枠に対応できず、追加派遣を断念したことは結果としてすぐに現場には伝わらず、そこに外部の人間からの情報が先行したこと。
五つ目は、春になって事の顛末は湯浅本人に上層部の人間より説明がされたということ。
六つ目は、次のソチオリンピックの派遣選手決定期限も今回と大きく変わることはないと現状では考えられるため、アルペンスキーとして期限の延長を求めるなどの主張をしていくということ。
関係のお三方にお話をお伺いする限り、SAJはインターネットの某掲示板に書かれているような「融通の利かないお役所」ではないと思います。前向きな意思を持った信頼に足る組織だと思います。
しかし、こうも思います。
「頭で考えているだけでは何もしていないに等しい。もっと多くの行動力と実行力、そして、執念が欲しい」。
そしてそれは、ワールドカップの凍てついたピステで戦う選手それぞれの気持ちと限りなく同じものであってほしいと切に願うのです。
それには、組織内やデスクと現場との交流をもっともっと推進していくことが必要だと思います。
改良のひとつとして、組織図の書き方から見直してみるのもひとつの方法かもしれません。役員と現場を並列に配置し、「上意下達」ではなく、対等の立場として相互の交流を積極的に図っていく意思を示す必要があるのではないかと思います。
選手会の立ち上げなどもいいと思います。とにかく現場の意見を直に上層部に届けられるような忌憚のない意見交換のシステムが必要なのではないかと思います。
奥歯にものがはさまったような書き方で申し訳ありません。
しかし、今回の問題は現場の責任者も上層部の責任者も、しつこいまでの双方のコミュニケーションと「なんとしても出場させる」という鬼のような執念が足りなかった結果であると私は思います。
なぜなら、シーズン日本人最高位選手であり、出場していればオリンピックの出走が日本人のなかで一番手だった選手が、オリンピックという世界最高の技術とパフォーマンスを競う舞台に出ていないという事実が厳然と存在するからです。
「進退をかけてレースに臨んだ選手の気持ちと同じ気持ちを持っていたと言い切れますか?精一杯やったと言い切れますか?」
それはウェンゲン終了時点で、増枠の望みはかなり薄いと勝手に考えていた自分にも問いかける言葉でもあります。
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実はこのことを書くことで、湯浅本人と電話で話しをしました。快く了解して、好きなように書いてくださいと言ってくれました。
話しをしているうちに、私のことを全面的に信頼してくれる彼の気持ちを私は本当に理解しているのか不安にもなりました。
彼のような強い気持ちを持っている選手を自分は写真で表現できているだろうかとも考えました。
すいません、40すぎのおっさんが心情吐露してる場合じゃないですよね(苦笑)。
私のHPにつくった「History of YUASA Naoki」に本当の「魂」を入れるのはこれからなのかもしれません。
これから選手として円熟期を迎えようとする明と湯浅の戦いざまはこの目で、そしてカメラのファインダーでしっかりと脳裏に焼き付けようと思っています。
そして自分で焼き付けるだけでなく、写真を通してより多くのひとに選手の気持ちを感じていただくことが私の「進退をかけた勝負」と覚悟してこれからも写真を撮り続けたいと思います。
冒頭の写真は今年1月のキッツビュールSL、ゴール前のストレートを疾走する湯浅直樹。