アルペンスキー撮影記

毎冬、ヨーロッパアルプスを中心に行われるアルペンスキーワールドカップの魅力を紹介していきます

スポンサーリンク

湯淺直樹ヒストリーW杯編

スポンサーリンク

f:id:shinfotograf:20220128135630j:plain2012年12月18日、湯淺直樹はイタリア、マドンナ・ディ・カンピリオで3位表彰台に上がりました。

岡部哲也さん、木村公宣さん、佐々木明さんに次ぐ、日本人男子、史上4人目の快挙でした。

隣には全盛期のマルセル・ヒルシャーとフェリックス・ノイロイター。

日本アルペンスキー史に燦然と輝く、価値ある表彰台でした。

f:id:shinfotograf:20220128140843j:plain

21番スタートの湯淺はトップのヒルシャーに+2.06秒の26位で2本目に進み、1本目2位のノイロイターが滑ってくるまでの長い間、リーダーズボードの前に立ち、いや、座り続けました。

2本目のゴールでは腰痛で立ち上がれず、ガッツポーズもなし。笑顔が見れたのは勝負が決してからでした。

www.alpineskiphotography.com

www.alpineskiphotography.com

当時のブログが我ながら臨場感に溢れていて傑作です。ぜひご再読ください。

「遥かなる道」の中でも書いていますが、3位表彰台の裏で、常に怪我との戦いでした。

f:id:shinfotograf:20220128143339j:plain

2本目のゴール、苦悶の表情で痛みをこらえる湯淺。それでも戦い続けた彼のファイティングスピリット、気持ちの強さに今でも敬服します。

 

昨日の記者会見、最も印象に残っているレースはとの問いに、意外にも湯淺は、このマドンナではなく、2016年12月11日バルディゼール10位と答えました。

www.alpineskiphotography.com

当時のブログにもありますが、レース前の3日間、イタリアチームとの練習でどん底の状態から調子を取り戻したのが今でも一番思い出に残っているそうです。

確かにこのシーズンはこの後、マドンナで8位、年明けザグレブ18位、アデルボーデン14位、ウェンゲン2本目コースアウト、キッツビュール19位、シュラトミング7位、そして最終戦アスペンでも17位と「死攻」が信条だった彼が、最も安定して成績を残したシーズンでした。

www.alpineskiphotography.com

この時のブログの最後に2022年北京オリンピックの時に湯淺を脅かす選手の到来を期待する記述をしていましたが、小山陽平が名乗りを上げてくれました。

それも湯淺の思い出の地でもあるマドンナで、W杯初順位が8位。一躍、トップシーンに登場したのでした。

それは2006年トリノオリンピックシーズンの湯淺直樹を思い起こさせるものでもありました。

f:id:shinfotograf:20220128152436j:plain

2005年12月22日、スロベニア、クラニスカ・ゴラ、50番スタートの湯淺は1本目トップのベンヤミン・ライヒに+2.33秒の27位につけ、2本目トップタイムで7位までジャンプアップ。

ゴールで雄叫びをあげました。

私の個人的な印象に残っているレースの「第2位」はW杯に「メジャーデビュー」を果たしたこのクラニスカ・ゴラでした。

今日はこの辺で。また近日にW杯と世界選手権の湯淺直樹ヒストリーを綴ります。