アルペンスキー撮影記

毎冬、ヨーロッパアルプスを中心に行われるアルペンスキーワールドカップの魅力を紹介していきます

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遥かなる道

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興奮の一夜が明け、好天のマドンナ・ディ・カンピリオをあとにしました。

チェックアウトのときにホテルのご主人が、「昨晩はあなたにとって、いい思い出の日となったね」と祝福してくれました。

確かにホテルのご主人だけでなく、昨晩は多くの見知らぬイタリア人におめでとうを言われて私は「グラッツェ」連発でした。笑

湯浅本人も至る所でサインと写真撮影をせがまれ、マドンナ・ディ・カンピリオのヒーローでした。

2本目はゴールエリアで撮影していましたが、湯浅の順位が10位確定になる頃には、友人のイタリア人カメラマン、アレッサンドロは「ユアザは3位になるぜ!」と私にむかって断言しました。

ゴールエリアの場内アナウンスは一人一人ゴールするたびに、「ユアザナオキ!」の連呼でした。

表彰式では「シン!真ん前の真ん中にこい!」と多くの友人カメラマンが撮影ポジションを譲ってくれました。

そして多くの友人カメラマンが私に向かっておめでとうの握手をくれました。

そして何よりも忘れられない一瞬。表彰式が終わって、湯浅は私に向かってきてくれました。この写真のあと、男同士の熱い抱擁。みなさんにもお裾分けです。イメージしてみてください。そしてあなたも湯浅の腕のなかに包まれてください。笑

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今日は帰国便の搭乗地であるチーリッヒへの道中、カーラジオでこの時期恒例のクリスマスソングを聴きつつ、昨晩の余韻に浸りながらの運転でした。

44にもなるおっさんが、昨晩から何度も何度も、思い出しては小さくガッツポーズする姿は端から見れば奇異に映ったでしょう。笑

この歳になっても、心の底から興奮できるのは幸せです。

昨晩、日本では早朝でしょうか。テレビライブで見ていらした方々はさぞかし興奮されたことでしょう。

2本目5番スタートから、アレキサンダー・ホロシロフを1.65秒離してトップに立つと、そのまま29番スタートのフェリックス・ノイロイターがゴールするまでずっとずっとリーダーズボードの前に立ち続けました。いや、正確には座り続けました。

1本目26位の選手が3位までジャンプアップした例は過去にそう多くはないでしょう。

湯浅本人が教えてくれましたが、最近では2007年1月のアデルボーデンSL、スイスのマーク・ベルトーのワールドカップ初優勝が1本目27位からのものでした。

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写真は優勝したヒルシャーに腕を抱えられて歩く湯浅直樹

昨季5位を2回記録した彼本来の滑りを発揮すれば、上位は十分射程圏内とは確信していましたし、さらに今季は輪をかけて好調だとは知っていました。

今季、湯浅の練習を見た人はみな一様に、「表彰台を狙えるほどいい滑り」と評していました。そして本人も好調を自覚していました。

しかし、11月からことあるごとに腰痛に悩まされ、今回も前日の練習で痛めてしまいながらも強行出場。1本目のゴールで自力で立ち上がることができませんでした。

バルディゼール同様のそんな姿を見て、好調とは言いながらも、まさか2本目でヒルシャーに次ぐ2番手のタイムをたたき出すとは想像だにしませんでした。

そして2本目でもゴールエリアで倒れこんで動けなくなる姿を見て、私は涙がこぼれ落ちそうでした。そのときにこの姿は決して忘れまいと心に刻みました。 

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湯浅のその「鬼気迫る」滑りはその後の他のレーサーたちを圧倒。

コーチのクリスチャン・ライトナーもミヒャエル・シュタイナーも「信じられない」を連発するほどのミラクルな滑りで表彰台3位を手中におさめました。

2本目、私と並んで湯浅を見ていた大先輩、田草川嘉雄さんは、facebook スキーウェブマガジン「アルペンレース」のなかで、

この快挙をこういう文章で表現することの無意味さを痛切に感じながらも、やっぱりこう書かずにはいられない。 「奇跡を見た」。 おそらく、2本目の湯浅直樹は地球上のごく限られたアスリートしか立ち入ることの許されない「ゾーン」に入り込んだのだろう。

と表現されています。

私は2本目のゴールで倒れこむ湯浅を見て、奇跡を起こせるのは、それを起こすに値する努力と研鑽を積み、そして目的を達成する激しいまでの執念をも持つ者だけだと、思わずにはいられません。

今回の3位でワールドカップポイントは60をゲット。SL総合順位は3戦を終えて12位。次戦ザグレブではおそらく19番スタートとなるでしょう。

いま機上の人となっている湯浅本人はあと2時間ほどで帰国。一週間の休養を経たのちに再び渡欧することになります。

自身初の表彰台を大いに祝福し、次は表彰台中央をと期待する一方で、ほとんどの方が湯浅の腰の状態を心配されているのではないでしょうか。

確かに、表彰後、ホテルには自力で歩いて向かいましたが両手にストックを杖代わりにして左足を少しひきずるように歩いていました。

痛みは本人にしかわかりません。

でも、ゴールで倒れこむ姿は、多くの方が本人の痛さを自らの痛みのように感じているのではないでしょうか。

もしかしたら今後の彼の選手生命、もっと言えば引退後の日常生活も心配になっている方が大勢いらっしゃるのかもしれません。

しかし、小学校4年生のときに描いた世界一の夢が、もうすぐ手の届くところまできている今、その闘いから身を引く決断をできる人はいるでしょうか?

あなたならどうですか?

彼はいま29歳。スポーツ選手としては峠を越えようとしている年齢と言えるかもしれません。

来年は30歳でソチオリンピックを迎えます。

本人はちらっと、「ピョンチャンまではやるつもり」と話してくれたことはありますが、果たしてそこまで今のパフォーマンスを発揮できるでしょうか?

もしかしたら彼自身がそのことを一番自覚しているかもしれないと私は思います。

もちろん、考え方の問題なのかもしれません。

アルペンスキーの世界を知らない人から見れば、身を削ってまで目指す頂ではないと思うのは当然でしょう。

しかし、湯浅直樹は自らの身を削ってでも世界一の頂点を自らの足で踏みしめたいのだと思います。

それを今後の人生を送る上で心配だからと言って、強引にでも中断させることは私にはできません。

それは湯浅本人が進む道。ここまで彼が自らの足で築いてきた遥かなる道。

悔いなく歩んで欲しい。ただそれだけです。

湯浅本人のブログもぜひお読みください。何度も、何度も。

http://ameblo.jp/naoki-yuasa1321/entry-11430261336.html

ameblo.jp

すいません。少し重くなってしまいました。

少し冷静になってヘルニア、腰痛についてみなさまで調べて、考えてみませんか?

(冷静じゃないのは私だけ?笑)

インターネットで調べられる情報だけでも結構です。積極的にコメントください!

みなさん同様、私も湯浅の腰の状態が心配ではありますが、今季は「だましだまし」いくしか方法はないかもしれません。

年明け1月は4レース。幸いと言うべきか、レースはすべて日曜日で、プロ野球的に言えば「中6日」の4戦となります。(ザグレブ、アデルボーデン、ウェンゲン、キッツビュール)

そして1月最後のキッツビュールのレースから約3週間あいてシュラトミング世界選手権SLが2月17日。

その後はワールドカップが3月10日クラニスカ・ゴラでこれも約3週間の合間。クラニスカ・ゴラの翌週が最終戦でレンツァハイデとなっています。

みなさん同様願わくば、今季中にあと2つ上、表彰台の真ん中に立って欲しいとは思いますが、腰の状況がとにかく心配。ワールドカップを欠場する勇気もときには必要かもしれません。

欠場するとすれば、年明け初戦のザグレブか2戦目のアデルボーデンまたは3戦目ウェンゲンが「効果的」か?

そうすれば、「中6日」が「中13日」になり休養も長く取れることになります。

それでも、湯浅はみすみす表彰台中央に立つチャンスを逃す気はないのではないかと思います。

記憶に新しい、今年1月のウェンゲン、スタートすぐの転倒で右膝負傷。靭帯断裂かと思われましたが、

「捻挫でした」とケロッと?翌週のキッツビュールに強行出場し20位。

その2日後には当時の自身最高位5位をシュラトミングで獲得するミラクルなことをやってのけました。

出場するかしないかは、もう彼自身が決めるしかないのではないでしょうか。

もしかしたら、我々にできることは神に祈ることしかないのかもしれません。

このブログをお読みいただいているみなさま一人一人のお気持ちが、湯浅を世界一の頂に押し上げていただけるように一心不乱に念じたいと思います。

 

みなさま、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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