2日のお昼、無事に帰国しました。東京も寒いですね。(笑)
同じ日に賢太郎も帰国。私とは違う便ですので、成田では会えませんでした。
その日の朝にオリンピックを最後に引退するという記事が出て、多くの報道陣だったようですね。テレビまで。私が税関出たときにはしーんとしてましたが。(笑)
今年がオリンピックイヤーだということもあるでしょうが、アルペンスキー選手が我が国日本で大きく報道されるということはうれしいことでもあります。
しかし、報道された内容だけから見ると、引退するという「第一報」と賢太郎本人が成田で報道陣に話した内容は真逆。
さて、どちらが真実か。
ここからは、私自身が思う事を三つの観点から記します。
まず、「第一報」の記事中やタイトルにもある、
「2006年のトリノ五輪で4位に食い込んだ皆川だが、同年12月に前十字靱帯(じんたい)を断裂した右ひざの痛みが癒えず、現役続行が無理と判断した。」
という部分に私もうなずける事があります。
それが冒頭の写真。
今季何度かインスペクション中に右膝を気にするしぐさをファインダー越しに見ていました。写真ではわかりずらくてすいませんが、少し膝を持ち上げ、左右に軽くひねったり、上下に振動させる動作です。
私の場合は側副靭帯と後十字靭帯損傷なので前十字靭帯ではないのですが、その動作を注視してしまったのは、私自身が10月のセルデンでケガをして今もだるいような痛みがあるせいかもしれません。
痛みというのは本人にしかわからないことではありますが、成田の囲み会見の記事中にも
『今五輪後に引退すると報じられたことについては「(現時点では)引退は考えていません」。ただ、32歳という年齢と前十字靱帯(じんたい)を損傷した両ひ ざの調子を考えると「次の五輪への4年は非常に長い。五輪後に、燃え上がるものがあればイエスだし、そうじゃなければノーかもしれない」と、五輪後に去就 を決めることを明らかにした。』
とあります。
第二は違う観点から。
今季開幕直前の10月13日、ヘルマン・マイヤーがウイーンで記者会見し、ひざのケガを理由に引退を表明しました。
突然の引退表明に私はショックを受けました。
「もうスーパースターを撮らせてもらえないのか」
大きな落胆でした。喪失でした。残念でした。
せめて「これが最後のレース」というものがあったなら、悔いなく彼の最後の勇姿を撮ることができたと思います。
毎年、最終戦では「引退レース」が行われます。
最終戦に出場できる好成績のベテラン選手に与えられた特権ですが、昨年はジュエル・シェナル(フランス)がプレスリーの仮装で滑って仲間に祝福されていました。(過去ブログを「掘って」ください。ヘルマンもシェナルもあります)
ファンにとって、「これが最後の勇姿」と思って見るのと「あれが最後のレースだった」と後から知るのはどちらがいいのか。
もちろん、ヘルマンは苦渋の決断だったと思います。彼も華々しくオリンピックを最後に引退したかったのではないかと私は思います。
第三はまた違った観点から
このブログをコメント欄の隅々まで読んでいただいている希少な?(笑)方々はもう気がついていらっしゃると思いますが、クラニスカ・ゴラには日本人メディアは私を含め3人しかいませんでした。
3人しかいないということはつまり、私みたいな「アルペンスキーおたく」しかいなかったということです。(笑)オリンピックだからと駆り出された「にわか記者」などスロヴェニアの山の中には存在しなかったということです。そして私を含めた「おたく」たちは今季どころではなく、何年もアルペンスキーを取材してきているということです。
そして成田の囲み記者会見の記事も、微妙に各紙、見出しや強調している部分、言い回しや語尾に違いがあるのを発見している「希少な」(しつこい!笑)方々もいらっしゃることでしょう。
私の結論として、27日(日本時間は28日早朝)は、
賢太郎のオリンピックの勇姿を目に焼き付けてください。
もちろん、明のスーパーランも大いに期待してください。
以上です。
田中慎一郎
また「ちょいユル雑感」はごじつーーー。(笑)